【新胴体力】という名称について




残念なことに、『胴体力』は、現在、飛龍会代表を名乗る女性2名が連名で、

伊藤昇先生が亡くなる半年程前、
先生の在命中でありながら先生や当時の幹部会員に何の相談もなく、

秘密裏に弁理士を通して特許庁に申請、商標を取得しています。


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(111) 【登録番号】 第4631630号
(151) 【登録日】 平成14年(2002)12月20日
(450) 【登録公報発行日】 平成15年(2003)1月28日
(441) 【公開日】 平成14年(2002)2月21日
(210) 【出願番号】 商願2002−4621
(220) 【出願日】 平成14年(2002)1月24日
    【先願権発生日】 平成14年(2002)1月24日
(156) 【更新登録日】
(180) 【存続期間満了日】 平成24年(2012)12月20日
    【分納満了日】
    【拒絶査定発送日】
    【最終処分日】
    【最終処分種別】
      【出願種別】
    【商標(検索用)】 胴体力
(541) 【標準文字商標】 胴体力
(561) 【称呼】 ドータイリョク,ドータイリキ
(531) 【ウィーン図形分類】
(732) 【権利者】
    【氏名又は名称】 大● ま●み
    【住所又は居所】 ※※※※※※※※※丁目※※番※※号
    【氏名又は名称】 長● ●子
    【住所又は居所】 ※※※※※※※※※※※※※※※※※

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特許庁のホームページで誰でも確認できますので、捏造と主張される方は、ご自身の目でお確かめ下さい。


※ 女性2名が弁理士を通し特許庁に申請した【出願日】 平成14年(2002)1月24日は、

末期癌に侵され、伊藤先生が亡くなる半年前。まだ先生の在命中です。



当時体重60kgに満たない、少林寺茶帯時代の松田塾長と、若き日の伊藤昇先生。

金曜夜の下目黒住区センター入り口の予定表のホワイトボードには、 『少林寺拳法研究会』と、当日使用する登録団体名が小さく書かれるのですが、 非常に小さく書かれても、少林寺をやっている人の目には入り、 「我々と組んで演武の全国大会を制覇しよう。」等の問合わせが多く、 型の大会に出てトロフィーをもらうのが我々の目的ではないので、 何かいい名称はないかと先生が話されました。

“脚の付け根はみぞおちから” と言いはじめ、 『気分爽快 身体革命』(ワニブックス KKベストセラーズ 絶版)が出た頃でさえ、 胴体部分の観念のイラスト図は載っていましたが、まだ『胴体力』という言葉はありませんでした。

「腕も胴体から出ている。相手の腕がいくら太くても、こちらの胴体の方が太いでしょ。」と、 先生はいつも胴体から力が出ると言っているので、『胴体力メソッド研究会』はどうでしょう。と 進言しました。そこから『胴体力』という名称が誕生しました。


女性2名が弁理士を通し特許庁に申請した【出願日】 平成14年(2002)1月24日は、 末期癌に侵され、伊藤先生が亡くなる半年前。まだ先生の在命中です。 (また弁理士による出願は、出願受付日より更に遡って、通常、1〜2ヶ月間の打合わせがあるのが普通です。)


先生が在命中に出願したのであれば、【権利者の氏名又は名称】は 『伊藤 昇』 もしくは『飛龍会』で申請していないとおかしいですし、 もし、仮に先生が許していたのであれば、事の過程を幹部会員に伝え、皆の前で話していなくてはなりません。 先生が申請に関与していたのであれば、先生の事ですから、『胴体力』『飛龍会』2つ同時に申請しているはずですが、 『飛龍会』の方は、事実、同じ弁理士により、一周忌後に申請されています。  ※ 同じく特許庁商標検索、『飛龍会』で出てきます。(おもしろいことに、なぜかこちらの方は、 権利者の名前の序列が『胴体力』の時とは上下が逆になっています。後で揉めないように二人で話し合ったのでしょうか。)


3月の武道クラス閉鎖後、5月を過ぎて療養中の先生の死が知れたのは、 既に印刷された封書が一部の関係者に郵送されただけで、内容は、

  • 伊藤先生が一週間程前に、既に亡くなっているお知らせ
  • 遺言(二代目)の発表があるので渋谷蔵修館(メイン練習場所)に集まるようにとの指示
  • “一ヶ月後のお別れ会の案内”と目具雅叙園発行の地図

    これも全員には行き渡らず、情報が錯乱しました。




  • この先生在命中の商標出願を知ったのは、自分の道場名が他に抵触しないかどうかを調べていた時に発見しました。


    女性二名は、遺言書の発表で、二代目に指名されたと発表し、
    皆、信じたそうですが、
    誰一人、その遺言書を見た人はいません。

    案内を貰った会員の中には、あまりの手際の良さに不信感を懐き、お別れ会に参加しなかった者も多数いました。


    まさか特許庁のホームページ検索で、
    自分たちの商標出願日時が表記されるとは思ってもいなかったようです。



    『スーパーボディーを読む』(マガジンハウス)の続編、『スーパーボディーを創る』 (タイトルは既に決定済でした。) の執筆は途絶えてしまい、もう日の目を見る事はありません。





    【代沢飛龍道院、飛龍会という名称について】



    飛龍会初段の頃。




    少林寺拳法では思想の面から、対外試合を禁止しています。
    当時、腕に自信があったので、こっそり空手のオープントーナメントに出ようとしましたが、直前でバレてしまいました。
    しかし、その大会に20年後、松田塾として出ることになります。人間、情熱があれば、夢は叶うものです。




    その後、伊藤先生の勧めで、「君は将来、指導者になるから、違う先生の技術も習ってきなさい。」と、
    少林寺武道専門学校に、特別に初段で通わせてもらいました。(東京は人が多すぎるので弐段から)

    多くの達人と呼ばれる指導者から技を習い、仲間と交流を深め、
    昼休みは、他の道院の腕に自信のある四段以上の赤卍と、よく乱捕りをしていました。
    予科一年200名、二年進級50名。学科、実技、共にトップの成績で卒業。




    『代沢飛龍道院』という道場名(当時の少林寺は、道場ではなく道院と呼びました。)は、 先生が下北沢(代沢)で沖ヨガ東京本部長をしていたときに人数が増え、 キャパが狭くなると都内で道場所在地が変わるかもしれないので、『飛龍会』で申請。 総本部では土地の名前を付けるようにと『下北沢』または『代沢』を要請。 折半するカタチで『代沢飛龍道院』となりましたが、 『飛龍会』のほうが通りがよかったので、日常的に『飛龍会』を名乗っていました。

    また、後のメイン練習場となる渋谷警察署裏の渋谷蔵修館は、当時抗争していた極真会館の通信教育をまかされていた道場が近くにあり、 抗争を恐れて誰も進出しないエリアであったため、 空白地帯だったところを偶然通りかかったところ立派な道場(神社の中の常設の剣道道場)が目に入り、何かに導かれるかのように、 先代の蔵修館、比留間館長より練習場所を借りることが出来たのだそうです。

    恵比寿にも個人邸宅の庭に造られたプレハブの常設道場があり、当時の練習は、一通りの練習、掃除が終わった後、 フルコンタクトスタイルの乱捕り(自由組手)が行われ、 ガラスが割れたところには、黒いゴミ用のビニール袋が画鋲で貼られ、出稽古で来た黒帯の大人が泣きながらやっているのが普通でした。




    忘年会。恵比寿のプレハブ常設道場にて。

    (1984年 入門一年目)




    かつて恵比寿にあった伝説の道場、代沢飛龍道院、取り壊しの跡と、『代沢飛龍道院』の看板。




    ※ 代沢飛龍道院は、伊藤先生が亡くなる一年前に廃院届を金剛禅総本山少林寺に提出し、消滅。

    飛龍会拳法として一年ほど活動するも、武道クラス完全閉鎖により解散。

    現在は在りません。





    伊藤先生の投げ技。

    (1995年 飛龍会20周年記念演武会にて)

    伊藤先生の払い受け。

    (1995年 飛龍会20周年記念演武会にて)





    少林寺拳法 東京別院 宗 由貴 総裁を迎えて。

    本来であれば伊藤先生が法衣で写真前列に収まるのですが、別用にて欠席。松田が代理出席。

    東京、山の手地区の各道院、少林寺幹部候補生が東京別院に集結し記念撮影。




    ※ 伊藤先生は地元静岡から東京に移り住み代沢飛龍道院を開いてから、
    20年以上、一度も昇段試験を受けていません。

    自分の後輩にあたる道院長が特別昇段で八段、九段に昇段しても、
    亡くなるまで、昇段試験は受けずに、ずうっと六段のままでした。


    新年会三次会。

    (1996年 乱捕り研究班 班長拝命)





    【伊藤昇の直弟子、高弟を名乗るニセモノに注意】




    かつて飛龍会武道クラスに何年か在籍していたとか、黒帯を取得したというのならまだわかるのですが、 本を読んだだけ、もしくは伊藤昇が在命中の月一回のセミナーに数回出て、一度、手を持ってもらっただけで、 『伊藤昇の直弟子でした』 と、mixi やブログで呼びかけ、 勝手にセミナーを開いているオタク、施術所を開いている整体師、怪しい経歴の地方の道場主が多数いるようです。 (伊藤先生の胴体力を、楽して強くなる超能力、オカルト扱いしています。)
    また、月一の初心者体験クラスに数回出た程度で、武道クラスで生前の伊藤先生から直接習っていたと人を集め、 一日護身術、格闘セミナーを開いている人もいるとの事です。

    体験入門で来て、「ほら、○○さんです。飛龍会の武道クラスにいたあの人です。あの人から教わっていました。」と言われても、 その言われた人が、実際に、全く見たことも聞いたことない顔、名前ということが何度かあります。 月一回の、しかも多数を相手の初心者セミナーに数回出ただけで、武道の達人になれたなら、たいしたものです。 そんなインチキは見逃せません。 相手の経歴に不審があれば問い合わせて下さい。(武道クラスには19年間、毎週練習に出ていましたので、いつ、誰がいたかは明確に答えられます。)


    伊藤先生の編み出した胴体力というものは、トレーニングの一方法、理論であって、汗を流して反復練習をしないと身には付きません。 「本を読んで理解したから弟子だ。」「金を払ってセミナーに参加したから弟子を名乗って何が悪い?」と開き直る輩には十分ご注意下さい。



    ※ 武道専門誌で伊藤昇の高弟を名乗り、ウエービングストレッチなる木の輪の健康器具を販売して指導をしている人がいるようですが、 武道クラスで19年間、毎週練習に出ていましたが、私は彼を一度も見たことがありません。

    ※ また、最近、何冊も武術の本を立て続けに出している、自称 武術研究家という人が、経歴の中で伊藤式を語っていますが、 彼もまた、私は一度も見たことがありません。
    (本人のブログによりますと、何と彼は以前、武術《ウーシュウ》という中国武術専門誌で一度、 本を何冊も出している、別の中国武術家の経歴詐称を暴いて糾弾したことがあるそうです。 密着した状態で、1tの突き、発勁《ハッケイ》を連続して放つことが出来るが、受けた相手が死んでしまうし、自分の拳や体が潰れるので、あえて出さないのだそうです。 体育館の床をダンダダ・ダンダダ踏み鳴らしていた動画をアップしていましたが、あれがそうなんでしょうか。 本の内容も、太気拳の弱点は突き指だの、他流の実名を挙げ、自分が勝っているイラスト入りの失礼極まりないトンデモ本です。)







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